保護という言葉が嫌いだから創りたいものがある
こんにちは、または初めまして。
アニマルカフェけだまの店主です。
この度はご機会に恵まれ、アニマルカフェけだまの公式ホームページをリニューアルをすることに至りました。すでに訪れ、見てくださった方には感謝を申し上げます。
人とのご縁とは良いものですね。
まだまだ人生捨てたものではないと、そう思えることが近頃感じられるようになりました。
これもきっと、我が子たちやスタッフの子たちの存在が大きいです。
あとは、長くお付き合いしてくださる常連さま。感謝しております。
このブログは、私、アニマルカフェけだまの店主が日々想い感じたことを綴っていきたいと思います。
自分の言葉に価値があると言ってくれた方がいらして「ぜひここに1つずつ言葉を重ねていきましょう」というご提案をいただいた時はやれるものかどうか…不安もありました。
ですが、できることはやろうと思い今に至ります。
今回は、保護という言葉について考えていて。そこを追求してみたいと思います。
自分は保護犬活動というカテゴリに入る仕事をしています。
ですがこの【保護】って言葉が嫌いです。
好きじゃない、のではなく嫌いなのです。嫌悪すら感じてしまう。
だから屋号もアニマルにしたんです。
最終的な目標は大家族での暮らし、という言葉がイメージに合うかな、と。
これは、人も動物たちも一緒に1つ屋根の下で暮らすんです。
種族が人だからとか、人じゃないとかそんなことに縛られない、種族なんて垣根の関係ない大規模なファミリー。
そこでは、障害のある人も大歓迎。
障害があるのは人に限らず、犬も猫も同じ。 動物が好き。 その気持ちがある前提になります。そんな人に働く場所を提供し、皆で助けながら生きていく場所。
足りないものを補い合って、支え合えるあたたかい関係が持てる場所。
…キーワードでいえば、大家族かなあ?流行りの言い方すれば、シェアハウス。
人だけではなくて、誰のもとにも属さないような、行き場のない動物たちも家族に迎えて。
人は人のできることを。 動物は動物のできることを。
力を合わせて、支え合って生きていくような…とにかく、人が動物を【保護】するのではなくて、対等に立って手を繋いでやっていこうって。そんなイメージ。
災害時には、行き場を失ってただ命を落としていく動物たちの避難場所にしたい。
知っていますか? 野良犬や野良猫。特に猫は、保健所で殺処分される数より、この私たちが暮らす街中で、車に轢かれて命を落とす数が圧倒的に多いんですよ。犬も同じようなものです。 どちらが彼らにとって幸せなのか。そんなの考える余地もない。
ぜひブログを読んでくださった方、感じたことをお店に来て教えてくれませんか?
同じ答えを持つ人に会えたら、自分はとても嬉しいです。
話がそれましたね。
先ほどお話しした大家族としてやっていくには、本当にたくさんの仲間(家族)が必要なんです。
夢物語に聞こえる方もいるかもしれませんが、本気で言っています。
障害がある、ハンデもっている。 そんな人でも、各自ができることを無理なくやりながら、安心して充足感を得て生活できる場所を作りたいんです。
障害があってハンデがある。私もそのひとりです。
ですが私は恵まれています。子どもたちがいて、力を貸してくれるスタッフがいて。でも、私だけが満足して終わりにはしたくないんです。 だからこそ、「偏見」の言葉で片付けられ、苦しい思いをしている人の気持ちがよくわかります。
しょうもない人生だったなあって、悔やむことだってあるでしょう。私だってそうです。建前とかじゃないですよ、本当にわかります。
だから?じゃあどうするの?
そう聞かれると、まだきちんと未来設計を明確に話すことはできないのが悔しい。
それでも、私は着実に昨日よりは進めていると信じてやっていきたいんです。
あたたかい言葉をかけてくれるお客様に救われて、我が子たちと触れ合い嬉しそうに帰られるお客様の背中を見つめながら、頑なに思います。 いつか、じゃなくて。 何年後にはそうできるって、はっきり公言できるように。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
また、とある日にお会いしましょう。
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